地頭でわが子と挑む中学受験

豊かな学びと子育てが考える力や生きる力を育てます。無理のない受験を考えるための1つの新しい処方箋。

自分らしいカバンを背負って

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先日の記事に、通りすがりの方から、とてもすばらしいお言葉をいただきました。我が家の家宝にしておこうと思ったのですが、それではあまりにもったいないので、ご家庭の皆様方にもおすそ分けを。

皆と同じカバンを背負うのではなく、自分らしいカバンを背負って、
自分らしい中身をもって、自信をもって生きていってほしいです。
気楽にすこやかに。

僕なら、このカバンにスケッチブックとクレパスを放り込んで、人生の放浪の旅に出てみたいですね。
娘だったらこのカバンに何を放り込むんだろうな・・・と考えると、なんだか娘の将来が楽しみになってきました。

それから以前の記事。ここで取り上げた学校も、娘の「併願校」から「志望校」に昇格です。これで娘自身の「志望校」は2つになったわけですが、どちらも捨てがたい。この2つは偏差値的には10ほども違う学校なのですが、僕からみても、それぞれにそれぞれのよさがある。それが娘にも分かるようなんですね。それぞれの学校の美点がわかる・・・そんな娘に育ってくれたことが、僕には最大の喜びでした。

2008年6月16日記す



ありがとうございます

ぱぱ塾ぱぱさん、

こんにちは。以前に通りすがりの者としてかばんの話をさせていただいた者です。久しぶりに寄らせて頂いて、あのときのつたない話を再掲して頂いていることに気づき、びっくりしました。ありがとうございます。

お嬢さまもその後、中学生となられ生き生きとした毎日を送られているようで、遅ればせながらおめでとうございます。

私にはとくに中学受験をする子どもがいるわけではないのですが、ときどき受験ブログをサーフしてしまいます。ひとつの理由は、自分自身が苦しくて自主撤退した日本の受験システムは当事者からみるとどういう状況なのだろうという興味です。もうひとつの理由は、自分自身、大学で教鞭と取る立場となり、受験システムをくぐりぬけてきた学生と接する中でうまくいえませんが受験体験と関連しているとのではと推察してしまう様々な問題や特徴を日々見出してしまうことから生じる関心です。

ピーターの法則は初めて知りました。個人的な体験からもなるほどとうなづけます。職業柄、まわりにはばかみたいに学ぶことや研究することが好きな人ばかりが集まっていますが、かれらに共通する特長は「ふとっぱら」であることと、「助けを求めるのが上手」なことだと思っています。「ふとっぱら」とは、知識でも情報でもネットワークでも求められれば何でも他者にofferしてしまうという寛大さのことです。「助けを求めるのが上手」とは、つねに自分のやりたいことと自分のリソースのギャップを把握していて(オリエンテーション)、そのギャップを埋めるために自分よりも優れた人を探しあてて教えを請うことがうまい、ということです。

このような態度のよさは、なんといっても「生きやすい」ということです。他者と競争することに価値を置いていないのはもちろんのこと(そのようなことが評価されなくてすむ業界にいるという制度的要因が大きいのですが)、むしろどんどん互いを認め合ってどんどん助け合って、誰の名前でもいいからよりよいものを世に送り出そうという倫理のようなものを感じます。根底には、それぞれが自分自身に対する健全な自信(自分はこれでいい、愛されている)があるのではないか、と思います。

ぱぱ塾ぱぱさんがいつも最後に添えてらっしゃるように、子どもはもちろんのこと大人もできるだけ笑顔でいられたらいいなあ、と思います。他者の笑顔も笑顔で受け止められたらなお生きやすい社会になるのではないでしょうか。それぞれの決意で受験に臨まれている皆様の日々の笑顔をお祈りします。

長くなりすみません。ありがとうございました。


Re: ありがとうございます

かばん屋さん(でよろしいのでしょうか・汗)、おはようございます。

まずはお祝いのお言葉、ありがとうございます。娘は中学受験という難しい時間をさらっとすりぬけて、今は学業と筋トレの毎日を楽しんでいるようです。ただ私の期待とは異なり、感性の世界にはあまり興味がないらしく、日々筋肉化(!)してゆく娘の姿を眺めて、少しばかり複雑な思いをいたしております。こちらの方は、娘の人生の中で、豊かな感性の世界となんらかの邂逅があることを期待するのみです。

追い立てられない。追いつめられない。そういう時間がいかに豊かな果実をもたらすか。このことはとても大切なことのように思います。私もある外資系企業で研究開発に携わっているのですが、幸いにして長い間研究に軸足を置いた生活をしてきました。ここでのポイントはやはり「時間をよこに使う」・・・追い立てられない、追いつめられないこと。それと「太っ腹」であること。「助けを求めることが上手」であること。こういうことが、よいモノ作りにつながってゆくことは身をもって感じていました。ただ私企業に勤めるということはそれだけでは済まなくて、研究とならんで開発にも時間を割かなければならない。こちらは時間の制約が厳しくて、「時間をたてわり」に、極端にいえば分刻みで使わなければならないことが苦痛でしたね。歳を重ねるにつれて、この開発や管理というベクトル成分が大きくなってきて、すこしばかり辛い思いもしております。最近は「生きにくくなった」とつねづね感じておりました。ご指摘の通り、私も笑顔でいることを忘れてはいけないのですね。まったくその通りだと思います。

ふりかえって自分の子どもの世代をみると、追い立てられない。追いつめられない。そういう時間の使い方。そういう時の流れに身をゆだねること。そういう生き方を知らないお子さんたちが増えてきているように感じています。そういう子どもたちにこのような時間に身をゆだねることの豊かさをつたえていってやりたい。そんな風に思います。かばん屋さんのお子さんは豊かな生活を送っておられるようでなによりです。笑顔ですこやかに育っていってくれるといいですね。

かばん屋さん(?)とは不思議なご縁を感じます。また遊びにいらしてください。それでは。


ありがとうございます

ぱぱ塾ぱぱさん、

レスをつけて下さり恐縮です。ぱぱさんならではのブログの美しさからお察しするに、外資系の研究開発のお仕事も、さまざまな制約がある中できっと美しいものに仕上げてらっしゃることと想像いたします。ブログの内容が、個人の経験をベースになさりながらも、単なる自分語りではなく別の視点から客観化した上で、それを読者に開いてらっしゃる点も素敵です。コンサルテーションを受ける方々は幸いでしょう。

雙葉の記事で思いだしたのですが、わが家も娘をサンモール(幼きイエス会)・インターナショナルスクールに入れたかったのです。しかしながら、「自分で選ぼう」と育ててしまったことがアダになり(?)、横浜にあるすべてのインターを試したのち、別の非宗教系インターを本人が選び取り、今日に至っています。幸い、各地に育児を分担してくれる親族がおり、かつ「必ずしも生みの親が育てなくてもよい」という価値観がある文化に属しているため、親の私たちも子ども自身ものびのびとすごすことができています。

ところで、お嬢さま、とても活発でスポーツがお好きなんですね。私は運動はきらいではないのですが、チーム系のスポーツではクラスメイトがそっと去っていってしまうほど足をひっぱるトロイ子どもでした。子どももその血を見事に受け継いでしまったようです。ですから、筋肉化、永遠のあこがれなのです。身体性や他者との相互作用への敏感さが要求されるような活動に惜しみなく時間を投じるというのは、それ自体、広い意味で感性を磨くのではないでしょうか。なにより、笑顔があふれる日々でしたら素晴らしいです。

それではまた寄らせて頂きます。ありがとうございます。


「かばん屋さん」はいまどこで、どうしておられるのだろう・・・。
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今日もお子様は受験勉強を楽しんでおられますか?お子様に笑顔はありますか?
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