地頭でわが子と挑む中学受験

豊かな学びと子育てが考える力や生きる力を育てます。無理のない受験を考えるための1つの新しい処方箋。

地頭のよさにも個性がある

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以前、このブログの記事に大変興味深いコメントをいただきました。 単なるコメントにとどめておくのはもったいないので、この記事に再掲させていただきます。

私見ですが。

いつも大変興味深く読ませて頂いています。仰られることには本当に納得させられています。実際現状の中学受験はごりごりとひたすら親や塾が子供や社会を翻弄しているような印象さえ受けています。教育のチャンスとして中学受験を利用するのは私も大賛成ですが利用程度という甘っちょろいことでは今時の中学受験にも通用しないのも現状かと思っています。ただ思うに出来る子たちの出来る構図というのはまさに”元々”地頭がいいのであってそれをどうやって”元々の”地頭の良くない子が獲得できるのかが私にはわかりません。おそらく読者の方々もそれを具体的に知りたいのではないでしょうか。ただ私見ですがこれは遺伝ではないとは思っていますが生まれ持ったその子の性質であり後に教育で獲得するのはかなり厳しいのではないのでしょうか。

そして良い地頭の”性質”を”元々”持っていない子はやはりごりごり無駄に勉強してチャンスをつかむしかないのではないでしょうか?私はたまたま国立の医学部を出て現在勤務医をやりながら同じ勤務医の夫ともに受験生の娘を育てています。私の周囲にたまたまいる優秀と言われているいる人たちを見ていても特に誰かに強いられる訳でもなく本当に涼しげに受験勉強をしてすずし気に多くのことを若い頃より的確にこなしているようです。それはやはり生まれ持った”性質”に思えてなりません。私見ですが如何お考えなられますか?



これも私見ですが・・・

はじめまして。鋭いご質問をどうもありがとうございます。 これもまた私見になりますが、日ごろお子さんたちを観察していて思うことをいくつか書き連ねてみようと思います。まず「地頭であれ性質であれお子さんが生まれ持ったものを後の教育で挽回するのは厳しいのではないか」というご指摘について。「天然」にみえるお子さんたちですが、中学受験期においてはまず例外なく「早熟」であるように見ています。で「早熟」であるという点が現在の中学受験の方法論の中では有利に働くように見えることは過去記事「切れるアタマ・廻るアタマ」とそのコメントに書いたとおりです。

では「晩成」タイプのお子さんたちにチャンスはないのかといえば、そんなことはないだろうと考えています。「晩成」タイプのお子さんにはゆっくり流れる深い時間がある。であればこの点を活かしてあげる方法を考えればいい。大人であれば何気なく過ごしてしまうちょっとした時間でさえも、この子たちにとっては意味のある時間なんです。この時間を活用すれば、この子たちに深く豊かな学びを授けてあげることができる。「天然」のお子さんたちはサッと通り過ぎてしまうような課題をもっとじっくり掘り下げてみよう。そうすればそこにはきっと何か新しい発見がある。何かを発見することはお子さんたちにとって知的に十分な刺激になりますし、そうして育んだ知的好奇心は、お子さんたちのユニークな発想につながっていきます。この「発想力」こそが「地頭力」の発現形態の一つであって、このような力を育むことのできる有意義な時間を大人の私たちは見過ごしてしまってはいないだろうか。あるいは中学受験期になにか別の時間にすりかえてしまってはいないだろうか。僕はそう考えるのですが、いかがでしょうか。

これでは具体的ではないので、もう一つ「教育のチャンスとして捉えることができるほどには現在の中学受験は甘くはないのではないか」というご指摘について。これはお子さんの使っている教材をじっくり検討されていただくとわかっていただけると思うのですが、現在の中学受験の学習教材(主に大手進学塾のもの)が「天然」にみえるお子さんたちにフォーカスしているということ。極端にいえば「早熟」のお子さんたちが「御三家」を受験するための方法論で組み立てられているということです。この「はやさ×物量」を「晩成」のお子さんたちがそのまま処理しようとするから”ごりごり”音がする。であればこの中学受験の方法論を「晩成」のお子さんたちに合うように使い方を読み替えてあげればいい。それを我が家風に言えば「例題の読み合わせ」であり「課題文の読み合わせ」、ということになります。学習課題の総量としては厳密ではないですが、おおよそ与えられる量の1/3ほどにまで絞り込みました。ちらっとものぞき見ていないテキスト・プリントが2/3ほどあったことになりますが、娘の場合は結果としてこれでおつりがくることになりました。娘の地頭がもとから良かったのだろうといわれてしまえば反証する方法がないのですが、もっとも間近に観察してきた人間として、娘の生来の地頭は、人並み以上のものではなかったように思います。

いずれにせよ深いご質問をありがとうございました。少しは回答になっておりますでしょうか。 これにてすべての疑問点に答えられたとは思っておりませんので、よろしければまたご質問ください。

ぱぱ塾ぱぱ



ありがとうございます。

大変ご丁寧なお返事を頂き大変恐縮しています。私の稚拙な文章にもかかわらず短時間のうちにとてもきれいにかつ的確にご回答して頂き本当にありがとうございました。おそらく大半の親は”晩生”の子たちを勉強させて”とりあえず”御三家あるいはそれに相当する中学に入れる事に必死になっているのではないでしょうか?親は我が子が”天然”ではないのであれば”晩生”なのだと思うかそう願いたくなります。そしてまさに今しっかり勉強して偏差値の高い中学に入れば”晩生”の子供も必ず花が咲くと思ってしまうのではないでしょうか。ですから中学受験が大変加熱するのでしょう。いつも思うのですが私が大学受験の時に絶対に東大は目指しませんでした。まったくレベルが違う事がわかっていたからです。でも中学受験生はまだあまりにも未熟で未完成のため絶対に東大は受けないような我が子に”御三家”を受けさせているように思えてなりません。中には”晩生”の子供が後に花咲くケースもたくさんあるとは思います。しかし結局大多数は”天然”の子がしかるべき形に成長しているように思われます。地頭をみがく事は親として大変楽しく子供にはこれ以上有意義な教育はないと思います。そして私自身も娘の地頭を良くするように努力しています。子供の教育は本当に楽しくうきうきしますが私には生まれ持った”性質”の違いに親や周りの指導者たちが的確に見つけ出す事ができれば無駄な中学受験はなくなると思っています。無駄な大学受験がないように。

えらそうに書き並べて申し訳ありません。こんな議論が出来る事がとても楽しくてつい長く書きすぎてしまいました。



なぜそこに不公平感が感じられるのか

「早熟」のお子さんたちと「晩成」のお子さんたち。しょせん「早熟」のお子さんたちには「晩成」のお子さんたちはかなわない。そのような見方をされておられるようですが、この点については僕には異論があるんです。なぜ「地頭」が時代のキーワードとなっているのか。この点について考えてみると、「地頭」の強さが時代の要請になってきている理由がわかります。例えばホワイトカラーという職種。これはIT化にともなう情報処理技術の進展によって浸食されていく運命にあります。かりに『21世紀の名門校の作り方』の本間勇人先生が指摘している「知識を整理し分類し大量に覚え、消費する教育」という教育モデルが現在の中学受験の方法論であるとしたら、それに適応して成長してゆくお子さんたち=単に情報処理能力の優れたアタマをもつお子さんたち。彼らの居場所は近い将来、どんどん消えてなくなっていってしまうわけです。このような時代に生き残れるのはITで置き換えの効かないアタマ=強い「地頭」をもったお子さんたちなのではないでしょうか。「晩成」型のお子さんたちは「早熟」なお子さんたちよりユニークな発想を身につけるチャンスに恵まれている。そう考えてみれば、「晩成」型のお子さんたちの「地頭」をみがくことの意味も少しは違って見えてくるように思うのです。



どうしたら地頭を獲得できるのでしょうか

思うに出来る子たちの出来る構図というのはまさに”元々”地頭がいいのであってそれをどうやって”元々の”地頭の良くない子が獲得できるのかが私にはわかりません。おそらく読者の方々もそれを具体的に知りたいのではないでしょうか。



広義の「生まれつき」とは

「生まれつき」・・・というものを、僕は少し広い意味で解釈しています。たとえばお子さんが生まれてからものごころつくまでの間。あるいはお子さんがものごころついてから外界のさまざまなものごとに興味を示すようになるまでの間。このような時期にお子さんに何を与えてきたかで、お子さんの持つ「個性」が決まってくるように考えています。たとえばピアノの天才と呼ばれる人たち。この人たちの子供時代。ものごころついた時にはすでにピアノを弾いていた、というような逸話に事欠きません。しかしだからといって、そのようなお子さんが「ピアニストになる遺伝子」を受け継いで生まれてきた・・・というような説明は成り立たない。では天賦の才能とはなにかと問われれば、この例でいえばピアニストという個性。それをそのお子さんが後天的に獲得したものだろうと。ただこの後天的という部分。それはお子さんが生まれてからどのぐらいの時期をさすのか・・・つまりはこれが「元々」ということなのですが・・・これは注目するお子さんの個性によって異なるのではないかと思うのです。

「早熟・晩成」という個性。何人ものお子さんをみてきた経験からいわせていただければ、僕にはこれが、お子さんの成長のかなり早い段階で決まってくるように見えるんです。ですから中学受験期のお子さんたち。早熟なら早熟なりの、晩成なら晩成なりの受験をする、ということに不思議はないんです。これはお子さんたちの優劣ではなくて個性である。これが僕の見方です。ではなぜここに不公平感が感じられるのか。その理由が「いまの中学受験というシステムが早熟なお子さんたちに有利にできているから」なんですね。例えば「晩成なお子さんたちに有利な中学受験システム」というものだって考えることができるわけで、もしそのような受験システムが一般的であったなら、今度は早熟なお子さんたちが不利になるのは分かりきったことなんです。「早熟」なお子さんたちは打てば響くような反応をする。ただしその出力は単調になりがちです。一方「晩成」のお子さんたちは時間はかかるものの、バラエティに富んだユニークな出力をする。であれば「晩成」のお子さんたちのもつ、発想力・着想力。このような個性を最大限に活用できるような方法論を、いまの中学受験というシステムに持ち込んでしまえばいい。それが「地頭受験」というものの持つ意味なんです。

地頭力というもの。これは少しばかり高度な個性といっていい。これを身にまとうことのできる時期はほかの個性に比べれば、お子さんの成長段階の中でも後期に伸びるものだと考えています。それが小学生~中学生のころ。まさに中学受験期と重なっているように僕には見えるんです。では具体的にどうやったらお子さんの地頭力を伸ばせるのか。それがこのブログでひたすらくりかえし書いてきた「例題の読み合わせ」「課題文の読み合わせ」ということなのですが、これはそう難しいことではありません。ようするにお子さんの「発想・着想の瞬間をつかまえて」そのよい点をお子さんにくりかえしフィードバックしてあげる。簡単にいってしまえばそのような方法論なんですよ。

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