地頭でわが子と挑む中学受験

豊かな学びと子育てが考える力や生きる力を育てます。無理のない受験を考えるための1つの新しい処方箋。

スポンサーサイト

シェアする
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

難関校に合格することは必要か

シェアする

難関校に合格することは必要か、と問われた時、どのように答えるにしても、例えば皆さんの胸の内には「お子さんを東大に合格させるために」という暗黙の前提があるように思います。これをもう一度書けば、「お子さんを東大に合格させるために、難関校に合格することは必要か」となる。日常でここまで赤裸々に表現することはまずないにしても、難関校にお子さんを進ませたい、という動機の一つにはこのことがある。これを真っ向から否定できるご家庭はほとんどないのではないか。これをさらにあからさまに言ってしまえば、「難関校への合格=東大への切符を手に入れること」であると。そういう暗黙の理解があるわけですね。

しかし難関校に合格することは、東大への道の必要条件ではありません。十分条件でもない。東大入試というものはあらゆるお子さんたちに平等に開かれている。これは自明のことです。お子さんがどんな学校に進もうとも、もし東大入試にチャレンジしたいと思えば、その道は開かれているんです。そういう点を踏まえて、あらためて「難関校に合格することは必要か」・・・と問いなおしてみると、これが曖昧になってしまう。そんなご家庭も多いのではないでしょうか。

御三家レベルの難関校に合格されたお子さんたちは幸いです。ここで生涯の友を見つけることもあるでしょう。友人との高いレベルでの切磋琢磨をすることで自分を磨くこともできるに違いありません。難関校の建学の精神。それも御三家といわれる学校には、今にまで連綿と受け継がれている骨太の建学の精神がある。その精神に共感して進学されたお子さんたち。きっと豊かな青春時代を送られることになると思います。お子さんの人づくりの場としての6年間。これこそが難関校というものの健全な理解のしかたなのではないかと思うのです。

いっぽう、「東大への合格」を念頭に難関校に進学されたお子さんたち。そのお子さんたちは全員が全員、必ずしも東大に進学できるとは限りません。むしろ東大進学を逃したお子さんにはトラウマが残ってしまう可能性さえあるんです。ですから、もしかりにお子さんに東大を目指させるとしても、お子さんの発達段階に応じてお子さんに適した学校を選んでゆく。そういう道もあってもいいのではないか。もし無理をして御三家レベルを目指すことで不幸な中学受験生活をおくるようなことになってしまうのであれば、それは本末転倒なのではないかと思うのです。

--
今日もお子様は受験勉強を楽しんでおられますか?お子様に笑顔はありますか?
新たなお題のリクエスト・疑問・ご質問などは「コメント欄」に気軽に書き込んでください。

参考になりましたら、どれでも1つ。ぽちっとお願いいたします。   お薦め図書・参考書:
にほんブログ村 受験ブログ 中学受験へ  にほんブログ村 子育てブログ 子供の教育へ  にほんブログ村 子育てブログ 小学生の子へ   アマゾンインスタントストアへ

過去記事へのご意見・ご質問も大歓迎です → 最近の過去記事一覧
スポンサーサイト

Comments

yoshi  

私見ですが。

いつも大変興味深く読ませて頂いています。仰られることには本当に納得させられています。実際現状の中学受験はごりごりとひたすら親や塾が子供や社会を翻弄しているような印象さへ受けています。教育のチャンスとして中学受験を利用するのは私も大賛成ですが利用程度という甘っちょろいことでは今時の中学受験にも通用しないのも現状かと思っています。ただ思うに出来る子たちの出来る構図というのはまさに”元々”地頭がいいのであってそれをどうやって”元々の”地頭の良くない子が獲得できるのかが私にはわかりません。おそらく読者の方々もそれを具体的に知りたいのではないでしょうか。ただ私見ですがこれは遺伝ではないとは思っていますが生まれ持ったその子の性質であり後に教育で獲得するのはかなり厳しいのではないのでしょうか。
そして良い地頭の”性質”を”元々”持っていない子はやはりごりごり無駄に勉強してチャンスをつかむしかないのではないでしょうか?私はたまたま国立の医学部を出て現在勤務医をやりながら同じ勤務医の夫ともに受験生の娘を育てています。私の周囲にたまたまいる優秀と言われているいる人たちを見ていても特に誰かに強いられる訳でもなく本当に涼しげに受験勉強をしてすずし気に多くのことを若い頃より的確にこなしているようです。それはやはり生まれ持った”性質”に思えてなりません。私見ですが如何お考えなられますか?

2010/11/15 (Mon) 13:21 | EDIT | REPLY |  

ぱぱ塾ぱぱ  

これも私見ですが…

yoshiさん、はじめまして。鋭いご質問をどうもありがとうございます。

これもまた私見になりますが、日ごろお子さんたちを観察していて思うことをいくつか書き連ねてみようと思います。まず「地頭であれ性質であれお子さんが生まれ持ったものを後の教育で挽回するのは厳しいのではないか」というご指摘について。「天然」にみえるお子さんたちですが、中学受験期においてはまず例外なく「早熟」であるように見ています。で「早熟」であるという点が現在の中学受験の方法論の中では有利に働くように見えることは過去記事「切れるアタマ・廻るアタマ」とそのコメントに書いたとおりです。

では「晩成」タイプのお子さんたちにチャンスはないのかといえば、そんなことはないだろうと考えています。「晩成」タイプのお子さんにはゆっくり流れる深い時間がある。であればこの点を活かしてあげる方法を考えればいい。大人であれば何気なく過ごしてしまうちょっとした時間でさえも、この子たちにとっては意味のある時間なんです。この時間を活用すれば、この子たちに深く豊かな学びを授けてあげることができる。「天然」のお子さんたちはサッと通り過ぎてしまうような課題をもっとじっくり掘り下げてみよう。そうすればそこにはきっと何か新しい発見がある。何かを発見することはお子さんたちにとって知的に十分な刺激になりますし、そうして育んだ知的好奇心は、お子さんたちのユニークな発想につながっていきます。この「発想力」こそが「地頭力」の発現形態の一つであって、このような力を育むことのできる有意義な時間を大人の私たちは見過ごしてしまってはいないだろうか。あるいは中学受験期になにか別の時間にすりかえてしまってはいないだろうか。僕はそう考えるのですが、いかがでしょうか。

これでは具体的ではないので、もう一つ「教育のチャンスとして捉えることができるほどには現在の中学受験は甘くはないのではないか」というご指摘について。これはお子さんの使っている教材をじっくり検討されていただくとわかっていただけると思うのですが、現在の中学受験の学習教材(主に大手進学塾のもの)が「天然」にみえるお子さんたちにフォーカスしているということ。極端にいえば「早熟」のお子さんたちが「御三家」を受験するための方法論で組み立てられているということです。この「はやさ×物量」を「晩成」のお子さんたちがそのまま処理しようとするから”ごりごり”音がする。であればこの中学受験の方法論を「晩成」のお子さんたちに合うように使い方を読み替えてあげればいい。それを我が家風に言えば「例題の読み合わせ」であり「課題文の読み合わせ」、ということになります。学習課題の総量としては厳密ではないですが、おおよそ与えられる量の1/3ほどにまで絞り込みました。ちらっとものぞき見ていないテキスト・プリントが2/3ほどあったことになりますが、娘の場合は結果としてこれでおつりがくることになりました。娘の地頭がもとから良かったのだろうといわれてしまえば反証する方法がないのですが、もっとも間近に観察してきた人間として、娘の生来の地頭は、人並み以上のものではなかったように思います。

いずれにせよ深いご質問をありがとうございました。少しは回答になっておりますでしょうか。
これにてすべての疑問点に答えられたとは思っておりませんので、よろしければまたご質問ください。

ぱぱ塾ぱぱ

2010/11/15 (Mon) 17:13 | EDIT | REPLY |  

yoshi  

ありがとうございました。

大変ご丁寧なお返事を頂き大変恐縮しています。私の稚拙な文章にもかかわらず短時間のうちにとてもきれいにかつ的確にご回答して頂き本当にありがとうございました。おそらく大半の親は”晩生”の子たちを勉強させて”とりあえず”御三家あるいはそれに相当する中学に入れる事に必死になっているのではないでしょうか?親は我が子が”天然”ではないのであれば”晩生”なのだと思うかそう願いたくなります。そしてまさに今しっかり勉強してて偏差値の高い中学に入れば”晩生”の子供も必ず花が咲くと思ってしまうのではないでしょうか。ですから中学受験が大変加熱するのでしょう。いつも思うのですが私が大学受験の時に絶対に東大は目指しませんでした。まったくレベルが違う事がわかっていたからです。でも中学受験生はまだあまりにも未熟で未完成のため絶対に東大は受けないような我が子に”御三家”を受けさせているように思えてなりません。中には”晩生”の子供が後に花咲くケースもたくさんあるとは思います。しかし結局大多数は”天然”の子がしかるべき形に成長しているように思われます。地頭をみがく事は親として大変楽しく子供にはこれ以上有意義な教育はないと思います。そして私自身も娘の地頭を良くするように努力しています。子供の教育は本当に楽しくうきうきしますが私には生まれ持った”性質”の違いに親や周りの指導者たちが的確に見つけ出す事ができれば無駄な中学受験はなくなると思っています。無駄な大学受験がないように。
えらそうに書き並べて申し訳ありません。こんな議論が出来る事がとても楽しくてつい長く書きすぎてしまいました。

2010/11/15 (Mon) 19:05 | EDIT | REPLY |  

ぱぱ塾ぱぱ  

大学後を考えれば

「早熟」のお子さんたちと「晩成」のお子さんたち。しょせん「早熟」のお子さんたちには「晩成」のお子さんたちはかなわない。そのような見方をされておられるようですが、この点については僕には異論があるんです。なぜ「地頭」が時代のキーワードとなっているのか。この点について考えてみると、「地頭」の強さが時代の要請になってきている理由がわかります。例えばホワイトカラーという職種。これはIT化にともなう情報処理技術の進展によって浸食されていく運命にあります。かりに『21世紀の名門校の作り方』の本間勇人先生が指摘している「知識を整理し分類し大量に覚え、消費する教育」という教育モデルが現在の中学受験の方法論であるとしたら、それに適応して成長してゆくお子さんたち=単に情報処理能力の優れたアタマをもつお子さんたち。彼らの居場所は近い将来、どんどん消えてなくなっていってしまうわけです。このような時代に生き残れるのはITで置き換えの効かないアタマ=強い「地頭」をもったお子さんたちなのではないでしょうか。「晩成」型のお子さんたちは「早熟」なお子さんたちよりユニークな発想を身につけるチャンスに恵まれている。そう考えてみれば、「晩成」型のお子さんたちの「地頭」をみがくことの意味も少しは違って見えてくるように思うのです。

もう一つ付け加えるとすれば、大学入試の動向が中学入試の動向を左右しているように、就職試験の動向が大学入試の動向を左右している点でしょう。いま社会では就職試験の口頭試問としてお子さんたちの「地頭力」を診ることが盛んになりつつあります。これは社会のIT化にしたがった当然の動きであって、ITでカバーできないような人材を確保しようという企業側の思惑が見て取れます。この社会側のニーズに大学側が敏感に反応するのは当然の動きなのであって、大学側もそれに対応できるようなお子さんたちを求め始めているんですね。この点については過去記事「地頭力と大学入試」にまとめてありますのでよろしければご参考になさってください。世の中の動きは大学入試を含め、「地頭」の強いお子さんたちを求めはじめていることがおわかりいただけるのではないかと思います。となると6年後の大学入試。まだ先のことですが、お子さんが「早熟」か「晩成」かを問われるのではなくなる可能性も大きいのではないかと考えています。「地頭みがき」は今はまだ中学受験においては異端の方法論にすぎませんが、異端の道を歩んでいくことが意外と受験の王道を歩んでいた・・・そんなこともあるかも知れませんね(笑)

このお話。こちらも談義していて楽しいです。お仕事でお忙しいとは思いますが、また遊びにいらしてください。ぱぱ塾ぱぱ

2010/11/15 (Mon) 21:53 | EDIT | REPLY |  

はす  

同意見

私も全く同意見です。難関校に行く価値があるのは、そこでも上位になれる子のみと思います。学校の成績が悪いとやる気もなくなってしまいますよね。私自身は所謂進学校に高校から入った口です。同級生には在学中成績が悪くて全く勉強に身がはいらず、一浪二浪してからやる気をだして一流大に入った者が沢山います。そうした者にとって果たして難関中に合格したことが(少なくとも大学入試において)よかったのか、オッサンとなり父となった今考えることがあります。娘は塾に行かせてはいますがそもそも私立中に行くこと自体、人生の中であまり大きな意味はないのではないかと感じはじめています。

2010/11/16 (Tue) 08:10 | EDIT | REPLY |  

ぱぱ塾ぱぱ  

おっしゃるとおりですね

はすさん、はじめまして。コメントありがとうございます。

僕は以前、娘の志望校を絞り込むために進学塾の学校別偏差値表(いわゆるR4表や結果80偏差値表など)をいろいろ調べてみたことがあるんです。その結果を見て愕然としたことがあったのですが、それが偏差値による学校の序列付けの根拠なんです。さまざまな学校が「東大進学者数/学校在籍者数」という進学実績。このたった一つの尺度で厳密に序列づけられている、という現実だったんです。くだらないなあ、と思いましたね。はすさんもご指摘のとおり、僕も大学進学の成否というのは本人のやる気次第だと考えていましたから、この時を境に、我が家では学校選びの基準に偏差値を勘定にいれない、という方針に転換することになりました。

こうして方針を転換してみると、また面白いものが見えてきました。それが私学それぞれの持つユニーク性なんですね。私学にはさまざまな建学の精神がありますし、その教育理念もまったく同じということがない。もちろんお子さんたちへの教育方針もバラエティに富んでいる。こうした目でたくさんの学校を眺めてみると、子どもにどんな学びを授けてあげるべきか。そんな視点からの学校選びができるようになる。ですから我が家の学校選びは楽しいものとなりました。この学校もいいけどあの学校も捨てがたい・・・。もし世の中の大勢が、こんなポジティブな学校選びができるようになれば、中学受験の様相もまた変化していくのではないかと思います。

ぱぱ塾ぱぱ

2010/11/16 (Tue) 10:30 | EDIT | REPLY |  

Add your comment

Designed by Akira.

Copyright © 地頭でわが子と挑む中学受験 All Rights Reserved.
ブログパーツ ブログパーツ アクセスランキング
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。