地頭でわが子と挑む中学受験

豊かな学びと子育てが考える力や生きる力を育てます。無理のない受験を考えるための1つの新しい処方箋。

お子さんに考える力を授けるために

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過去記事の加筆・改題・再録です。

もう50年も前のこと。マクルーハンがメディアの性質について論じた「メディア論」。ホットなメディア=情報量が精細で与えられた情報ですべてが済んでしまうような受け手の参画性が低いメディア。クールなメディア=情報に欠けた部分があり受け手がそれを補っていく必要のある受け手の参画性が高いメディア。メディア(マクルーハンはこれを「技術」の意味で使っていました)はこの2つに分類できる・・・というよりも、このような分類を意識することで、新たに出現してきたメディアが持つことになる特性を予見することができる。そのような問題意識を俎上に上げる、その当時のメディアにかかわっていた人間に大きなショックを与えた1つのものの見方でした。

ヒトはホットなメディアに対しては、リーン・バック=テレビを見るときのように後にもたれかかるような受動的に情報を摂取する態度=で接しますし、逆にクールなメディアに対しては、リーン・フォワード=パソコンを前にした時のように前のめりになるように集中して能動的に情報を摂取する態度=で接します。インターネットが普及しだした時に、テレビにウェブブラウザを組み込もうという試みがありました。それの試みは見事に失敗したわけですが、これをメディア論の観点から見てみれば、その帰着はかなりの程度予見できたであろうと思われるんですね。

なぜここでこんな話をしているのかというと、進学塾というものをメディアとして見た場合、それはホットなのかクールなのか、ということなんです。ホットなメディアであるとすればお子さんは受動的になる。クールなメディアであればお子さんは能動的になる。そうなるだろうということなのです。実際には進学塾はホットでもありクールでもある。そう捉えるべきだと思うのですが、そのどちらの側面をつよく受け入れるかで、お子さんの「学び」というものへの「参画性」は異なってくる。中学受験を「教育」という視点から見た場合、そのどちらを選択するべきか。そのような考え方ができる。

「受け身の学び」か。「参画するな学び」か。進学塾の持つ特性のどちらを注目するかで、お子さんに授けることのできるものは異なってくる。教育という観点からは「参画する学び」が望ましいわけですが、とすると、進学塾のもつクールな側面=情報に欠けた部分があり受け手がそれを補っていく必要のある受け手の参画性が高いメディア=を十分に活用する必要があると思うのです。「参画する学び」とは、与えられた課題に欠けているものをお子さん自身に考えさせる、ということです。お子さん自身にじっくりと考えさせることで、お子さんが獲得することになる「学力」というもののあり方は異なってくるであろうと。僕はそう考えるわけです。

はたしてお子さんの通っている学習塾はホットなのかクールなのか。過剰さ=ホットさ=をもって事足れりとする昨今の進学塾あり方を、そのまま受け入れてよいものなのかどうか。お子さんの将来に向かってお子さんに授けてあげるべきものは何なのかを考えた場合、ここで一度、立ち止まって考え直してみる必要があるように思うのです。

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