地頭受験の実況中継 (早送り版)
地頭受験、という考え方。
「中学受験」というもの。「受験」というものは、ながらく「高校受験」や「大学受験」という世界でのできごとでした。ですから当然ながら「受験」という世界には、専門家がたくさんいらっしゃって、ハウツーやノウハウといったもの。そういうものが、長い間をかけて蓄積されてきたわけです。ところがこの「受験」というものが「中学受験」という世界に降りてきた。実のところ、「受験」というものが「子育て」の世界の真っただ中にわり込んできた形になったのです。ところがこの状態。僕の目から見ると、「受験」と「子育て」という2つのものがうまくなじんでいない。むしろ、うっかりすると競合するような関係になってしまっているように見える。「受験」をとるのか「子育て」をとるのか。そんな関係にあるように見えるのです。
「受験」の専門家の方たちは、「受験の常識」としてのノウハウや効率などというものを追求する。一方の「子育て」の専門家たる各ご家庭の方はといえば、そのような「受験の常識」といったものに押しまくられて・・・あるいは「望んで」なのかも知れません・・・「子育て」についての専門性。そのようなものをうまく発揮できていないように見えるのです。このまま「中学受験」>「子育て」という状態が続くようなことになってしまった場合、今のお子さんたちの将来はどうなってしまうのか。はたしてこの子たちに素晴らしい未来を手渡してあげることができるのか。そんなような不安を抱くのは僕だけでしょうか。できるなら、受験の専門家と各ご家庭。お互いにその専門性を持ち寄ることによって、あるいはそれぞれがお互いに専門外の分野を抱えていることを認識し、相互に1歩づつさがって「中学受験+子育て」という組み合わせの全体像を眺めなおすことによって、もっと新しい「子育てにやさしい」受験のあり方。そんなものを模索する協力関係。そのようなものを築き上げることはできないのか。中学受験の世界には、このあたりにまだ、未解決の大きな問題がひそんでいるように思えるのです。
我が家の中学受験。もし中学受験を「必要悪」だと仮定せざるを得ないのだとしたら、この子供の成長期に絶対的に必要な「外遊び」や「経験知」などというものとどのようにしたらうまく折り合いをつけることができるのか。あるいは「中学受験」そのものを「子育ての一部」として最大限、うまく活用する方法はないのか。そんなシンプルな疑問から始まりました。それが我が家の「わが子の地頭をみがいて受験する」=「地頭受験」というコンセプトの土台であり、それを紆余曲折を経ながら探求していくうちにたどりついたもの。それが「小さな受験」という1つの考え方として結実することとなりました。
子育てにはハウツーも効率もありません。子育てというものが本来持っているべき役割。それは無償の行為として、我が子をまっとうな人間に育て、社会に送り出すこと。それを通して自分を育ててくれた社会に借りを返す・・・言い換えれば、我が子への教育を通して社会に貢献するための道なのだと。僕は無論そう信じていますし、またそうすることで、娘「たち」が生きることになる時代。それがよりよいものになっていってくれるようにも思うのです。
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