地頭でわが子と挑む中学受験

豊かな学びと子育てが考える力や生きる力を育てます。無理のない受験を考えるための1つの新しい処方箋。

小さな受験という果実がもたらしたもの(10)

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我が家の中学受験。中学受験を「必要悪」だと仮定せざるを得ないのだとしたら、この子供の成長期に絶対的に必要な「外遊び」や「経験知」などというものとどのようにしたらうまく折り合いをつけることができるのか。あるいは「中学受験」そのものを「子育ての一部」として最大限、うまく活用する方法はないのか。そんなシンプルな疑問から始まりました。それが我が家の「地頭受験」というコンセプトの土台であり、それを紆余曲折を経ながら探求していくうちにたどりついたもの。それが「小さな受験」という1つの考え方として結実することとなりました。

子育てにはハウツーも効率もありません。子育てというものが本来持っているべき役割。それは無償の行為として、我が子をまっとうな人間に育て、社会に送り出すこと。それを通して自分を育ててくれた社会に借りを返す・・・言い換えれば、我が子への教育を通して社会に貢献するための道なのだと。僕は無論そう信じていますし、またそうすることで、娘「たち」が生きることになる時代。それがよりよいものになっていってくれるようにも思うのです。そんなわけで我が家の中学受験。その最後の日々。「小さな受験という果実」がどんなものをもたらしてくれたのか。それをここに書きつけておこうと思います。

ぱぱ塾ぱぱの子育ての終わり

その日はいきなりやってきました。とある公開模試の日。昼食をとりながらの会話の中で娘が言い出した言葉。「え?解き方を教えちゃうの?それを覚えるの?それじゃ勉強にならないじゃない!」。僕が目指した子育てのゴール。それはこれから先の決して容易ではない世相を「生き抜く力」。そんなものを娘に授けることでした。目の前に立ちはだかる問題。そんなものにあらかじめ答えが用意されているのは高校まで。そこから先はもう「答えのない世界」になります。常識の海の中から自分で問題を再設定する力。あるいはまったく新しい視点で問題提起をする力。それは「覚える力」でもなく「理解する力」でもなく、さらにその先の1歩を踏み出したところにある「自ら考える力」。そんなものが足腰になります。娘のこのセリフを聞いた僕は、「ああ、授けるべきものは授けることができたなあ・・・あとは娘が自分の足で歩きだすのを待つだけになった・・・」。そう思うととともに、中学受験という機会を子育てに活用しようとする努力。それはこの日をもって終わったのだ、という感慨に浸ったのでした。

ぱぱ塾の終わり

入試週間を迎える2日前。ぱぱ塾の全過程は終わりを迎えました。この日を境に、娘は入試という「自分自身との戦い」に、自分一人の力でもって挑むことになりました。娘は「入試という厳しい現実」をたった一人で受け止めることになったのです。作戦参謀としての僕の失策もあって、首尾は上々というわけにはいきませんでしたが、娘の人生で初めての「大きな挫折」。それに対しては、腫れものに触れるような気遣いもなにも必要ありませんでした。娘の「キっと一文字に結んだ口元」。それがすべてを物語っていました。このたった1日の経験が、娘を1回りも2回りも大きくした。そのような印象は、果たして「親バカ」である僕一人のものだけではありませんでした。

早くも1人で歩きだす

「挫折の夜」を経た翌日。すでに娘は自分の足で歩きだしていました。なぜ失敗したのか。どうしたらその失敗を繰り返さずに済むのか。娘はそれを「自分の力で考え」、実行に移しだしました。「セーフティネット受験」まであと2日。その間にできることは何なのか。たった2日間の猶予しかないこの時間。これをどう使えばいいのか。誰に教えられたわけでもなく、自分の頭で考え、やるべきことを選択し、それを実行に移す。娘に一番近い立場にいた僕にさえ、想像をはるかに超えるこの変貌ぶり。娘には「自分らしいカバンを背負って」「迷ったときはコイントスをして」でも、自分の人生を自ら選んで歩んでいってもらいたい。この機会を利用して「生きる力」を養って欲しい。ずっとそう願ってきた僕にとっても、突然のこの娘の変貌ぶりは、驚くべきものでした。このときの娘の横顔。いつものように幼い横顔とは違い、この子は一体いくつなんだ?と思わせるものがありました。果たして娘は、その2日後にはもう、自分自身の力で「自分の求めてきた結果」を出していたのでした。

まっとうな1人の人間として

幸いなことに我が家がお誘いを受けることのできた2校。娘が進学を希望したのは女子の「サッカー同好会」のある学校でした。つい先日、その学校のオリエンテーションがあり、家族で参加させていただく機会を得ることができました。そのオリエンテーションの冒頭。教頭先生のお話があり、その中で教頭先生は新入学生に向けて1つの問いかけをなさったのです。「みなさん、合格おめでとうございます。しかしその合格は、あなた方自分1人の力でなしとげることができたものではありませんね。みなさん方の中に、ご両親に「ありがとう」という感謝の言葉を伝えた人はいますか?」。大きなホールでしたから、教頭先生からはすべてのお子さんの様子が見えていたわけではないように思います。しかし教頭先生の目に止まったのは、遠慮がちに、しかししっかりとした意思で挙げられた、娘の手1本だけだったようです。もともとこのような意思表示を苦手としてきた娘。受験させてもらえることを「当然の権利」だとも思っていない、そんな気立てに育ってくれた娘。この先どうなるかはわかりませんが、それでも今の時点では、我が子をまっとうな人間に育て、社会に送り出すこと。それを通して自分を育ててくれた社会に借りを返す。そんな目標は達成できたのではないかと思っています。

早くも1人で工夫を始める

つい2、3日前のこと。とある文房具屋さんで、中学の授業で使うノート選びをしていました。学校側の指示もあるかと思うので、僕は授業でのノートの取り方についてのごくごく基本的なことを教えていました。最近の書店の店頭に並んでいる、どっかの大学に合格する受験生のノートは美しい・・・そんな本。おそらく編集者は何もわかっていないのでしょう。あの手のノート。あれは大学受験の終盤につくる「まとめノート」のサンプルであって、あんなノートを日常の授業で使うわけにはいかないんです。授業でのノートの取り方は全く違う。そんなわけで、娘には罫線の薄いノートにたくさんの余白をとって走り書きする、そんなノートの取り方があることを教え、それに適したノートの選び方を教えていました。そんな娘が見つけ出してきたのが、「コーネルメソッドノート」。これどう?というので見てみると、これが素晴らしい。ノート自身が「どう授業でのノートを取ったらいいのか」を主張してるんですね。残念なのはそのノート。本来ならレターサイズかA4サイズであるべきところがB5サイズで作られている。少しばかり「走り書き欄」が狭いなあ、と思い、サンプルとして2,3冊を仕入れて帰ってきたのですが、昨日のこと。「ぱぱ、ちょと見て」、というと、娘の算数ノート。普通のノートなんですが、誰に言われたでもなく、自分でそこに手を加えてすでに「コーネルメソッド」準拠にしてある。これで効果を試してみようということなんです。はや、気持ちは中学生なんでしょうか。とにかく自分で工夫をしてみよう。そんな気概が生まれ始めているようです・・・。

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2009年2月24日記す
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